YOSHIKI

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知られざるYOSHIKIの生い立ちあまりに壮絶な過去。そして、その素顔とは・・・

2018/03/30

X JAPAN  YOSHIKIの壮絶な人生とは・・

 

YOSHIKI

 

 

 

YOSHIKI

人気ロックバンド『X JAPAN』のメンバー、リーダーであり、ドラムとピアノを担当しています.

 

 

プロフィール

本名・林佳樹(はやし よしき)

年齢・1965年11月20日(52歳)

身長・175cm

血液型・B型

出身・千葉県館山市

職業・アーティスト、ソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー

X JAPANのドラマー/ピアニストとして最もよく知られている。
ほかにも、Violet UK、L・O・X、V2、globe extreme、S.K.I.N.として活動。

YOSHIKIの生い立ち

1965年11月20日、千葉県館山市の老舗呉服屋を営む裕福な家庭の2人兄弟の長男として誕生。

弟は5つ歳の離れた光樹(こうき)さん、現在は、YOSHIKIさんのマネージャーを務めています。

両親には過保護に育てられ、ジャズピアノを良く弾いていた父親の影響もあり、4歳からピアノを始めます。

 

4歳でピアノ

自宅の近くにピアノ教室があり、その音色を聞いていたYOSHIKIは、ジャズピアノを良く弾いていた父親の影響もあってか、自分から『ピアノを弾きたい』と言い、ピアノを習い出します。

 

幼少期~学生時代

仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦さんが兄弟の面倒を見てくれていたそうです。

 

父は元タップダンサー、母は三味線

父親は、先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーだったそうです。

また、父親はジャズピアノ、母親は三味線、叔母は琴の演奏を嗜むなど、音楽的な一面がありました。

 

YOSHIKIの小学生時代

もともと病弱で、重い小児喘息を患っていた事もあり、小学校の中学年になるまでは、頻繁に入退院を繰り返す生活を送っていたYOSHIKI。

既に、小学校4・5年生の頃にはクラシックの曲を作曲していたそうで、小5~中2まではブラスバンド部に所属しトランペットを担当していました。

当時のYOSHIKIはチョコレートが大好きで、お婆ちゃんが親戚に買ってきたチョコを片っ端から食べて気を失い、救急車で運ばれてしまいました。
驚くことに今現在も、チョコは“ドクターストップで食べる量が決められている”そうです。

 

ドラムを始めたのは10歳の頃

父親の夢がドラマーになる事で、10歳の誕生日に母親がドラムセットを買ってくれた事がきっかけでした。

その後、11歳で母親に連れて行ってもらった“世界的バンド『KISS』のLIVE”で本格的にロックに目覚めます。

 

頸椎椎間孔狭窄症

2017年5月、『頸椎椎間孔狭窄症』のため、人口椎間板置換術の手術を行いました。

手術は無事に成功しましたが、長年に渡る激しいプレイスタイルが原因では?との声が多く上がりました。

父親の『死』

YOSHIKIが10歳の頃の出来事です。
ピアノを始めるきっかけを作ってくれた父親が自殺。

その当時、父親の死が“自殺”であることをYOSHIKI本人には知らされておらず、
父親の死から数年経った中学生の頃、親戚の家で偶然、耳にして知ってしまったそうです。

X JAPANの『Tears』という曲は、YOSHIKIが自身の父親の事を思って書いた曲として有名です。

 

 

YOSHIKIの中学生時代

中学生になると、習字・絵・そろばん・学習塾・英語塾に通っていましたが、自分が好きで通っていた数学の公文以外は、入って速攻で辞め、さらに中2以降は、グレたため入っていた部活もやめてしまいます。

不良仲間と行動をともにする様になったきっかけは、中1の時“将来の目標”というアンケートに『ロックスターになりたい』と真面目に書いたが、職員室に呼び出され殴り飛ばされたこと。
それ以降、YOSHIKIにとって教師とは“自由を認めない象徴”という事だけでしかなかった。

自転車を暴走族のバイクのように改造したり、喫煙が見つかりバリカンを持った先生に追い掛け回されたあげく、丸坊主にされたり、サッカー部時代はいつも15分でレッドカード、ボールを取られると頭にきて相手の胸ぐらを掴んだり蹴りを入れたり・・・。

グレてはいましたが、学校行事は嫌いじゃなかったとYOSHIKI本人は語っています。

 

また、この頃から母親には、『この子は音楽をやっていないとどうしようもない子』と言われるようになっていたそうです。

 

 

バンド結成

中学生の時に現メンバーであり、幼馴染の『TOSHI』と共に「DAINAMAITE」というバンドを結成。

後にメンバーを入れ替えながら「NOISE」となり、「x(エックス)」となる。

 

“ダブル・バスドラム”確立は14歳

 

より複雑なリズムを叩きたいという願望から、『ダブル・ベースのドラムセット』を14歳の誕生日に母親に買ってもらったことで、今現在のYOSHIKIのドラムスタイルである“ダブル・バスドラム”を中学生にして確立します。

中学校の体育館で開かれた予餞会が初めてのステージだったそうです。

卒業式のお礼参り

卒業式の日に、“お礼参り”と称して木刀を持って職員室に殴り込み、新品の備品達を叩き壊しまくったという伝説もあります。

これが、現在のドラムセットを叩き壊すという原型だったのかもしれませんね。

 

高校生

YOSHIKIの進学した高校は、進学校でしたが、入学式の初日からまゆ毛を剃り、髪の毛を赤く染めて、派手な裏地の付いた学生服で登校した結果、全校生徒の前で殴り倒され『開校以来2番目のワル』と言われていたそう。

初メイクをしたのもこの頃。

『売られた喧嘩は買う』というポリシーの派手な振る舞いは、当然ながら他校の生徒に目をつけられ、校門の前に待ち伏せされて喧嘩になる事も日常茶飯事。
しかし、実際には負けることの方が多かったそうですが、“絶対に逃げない”ことで、いつしか『安房校の林は喧嘩が滅法強い』と噂されるように・・・。

ブチ切れて、大阪の道頓堀商店街で木刀を持って走り回った・・そんなヤンキー時代も、ピアノ教室には通い続け、暴走族の集会にも単語帳を持って参加、週末は決まって、音楽を勉強するために東京まで一人で行っていたそうです。

 

 

バンド活動

バンドの練習は主にYOSHIKIの部屋で行っていました。

しかし、家の目の前は産婦人科であり「子供が産まれそうだからドラムは叩かないでほしい」と言われてしまったそう。

その後、バンド練習は家の近くにあった“YAMAHAのスタジオ”に場所を変えて行われるようになります。

YAMAHA主催のコンテストにて、ドラムで千葉県の最優秀賞(ベストドラマー賞)を受賞しています。

 

高校卒業に伴って、音大に進むかどうかを本気で悩んだ結果、『ロックで飯を食う』と決意、今現在に至っています。

 

1982年『X JAPAN』結成

1985年『I'LL KILL YOU』でインディーズデビュー、1989年に『紅』でメジャーデビュー。

ヴィジュアル系の原型となったのもXの登場と人気からだったとも言われています。

X JAPAN解散

1982年にX JAPANの先駆けとなるバンドを結成してから5年、X初期の頃のメンバーが揃ったのが1987年でした。
最後に加入したのは、ギターのHIDE。1992年に『X』から『X JAPAN』に改名しています。

そして、1989年にメジャーデビュー、その年のレコード大賞を受賞し、色々な賞を総なめにしました。

1991年には初の紅白歌合戦にも出場、1994年まで連続出演しています。

 

そんな人気ロックバンドの解散は、1997年4月にボーカルのTOSHIが“脱退したい”とYOSHIKIに申し入れたことがきっかけだった。

音楽性・方向性の違いを理由にToshlが脱退したあと、後任のボーカルを見つけられず、9月22日に記者会見を開き、当日をもってX JAPANの解散を発表した。

その後、ファンに対する『けじめ』としてライブをしよう、とHIDEがYOSHIKIを説得。

その結果、1997年12月31日、東京ドームで解散ライブ「THE LAST LIVE」を行った。

ライブ後は、すぐにNHKホールへ移動し最後の紅白歌合戦に出場、『Forever Love』を歌い上げて、解散しました。

 

 

TOSHI 洗脳騒動

大きな報道がされて有名な騒動ですね。

洗脳に取り込まれた経緯としては、

東京ドームでコンサートをしたりCDが売れたりと人気が出てくるとともに

家族が強欲になってきたり友人がカネを目の前にトラブルを起こしたりと

「人間の強欲」を目の当たりにしたり、

バンドが海外進出をしようとした時に、自分のボーカルが世界に通用するのかという

不安だったり、そのような色々なことが重なり

自己啓発セミナーに行ったことが事の始まりだった。

人の不安などに漬け込むのが洗脳の常套手段だったことから

Toshiは洗脳にかかりやすい時期だったのかもしれません。

12年間でセミナー主催者側に支払った金額は15億円以上にもなるとのことを

本人が語っていました。

一時は消費者金融にも手を出し借金をしていたほどだったと言います。

 

 

メンバーの死

誰が欠けてもダメだった、、、X JAPANのメンバー。

 

HIDE

HIDE

X JAPAN解散後の翌年、1998年の出来事でした。

1987年から1997年までX JAPANのギタリストとして活躍したHIDE。

1998年5月2日早朝、自室のドアノブにタオルをかけ、床に座った状態で首を吊っているHIDEが、婚約者によって発見され病院に搬送されましたが、午前8時52分に死亡が確認されました。

 

YOSHIKIは、HIDEの訃報を最初に聞いた時『これは質の悪い冗談なのではないか?』と半信半疑でしたが、ロサンゼルスから成田空港に向かう際の飛行機の中で、HIDE急逝のニュース報道を見た際に、現実として受け止め、機内で号泣したといいます。

 

 

TAIJI

TAIJI

1982年、Xに加入するも、メジャーデビューから約2年後に正式脱退したTAIJI。

脱退以来18年ぶりにYOSHIKIと共演を果たした翌年、2011年7月の出来事でした。

2011年7月11日、仕事でサイパンに向かう飛行機の中で暴行事件を起こし、サイパン当局で逮捕拘留されたとされるTAIJI。

それから3日後に拘置所で首つり自殺を図り、7月17日に病院で死亡が確認されたと伝えられています。

 

当時YOSHIKIは、『TAIJI の突然の訃報を聞いて言葉にならない衝撃を受けています......まだ心の整理がつかない』と語っていました。

次のページではYOSHIKIの様々な伝説をご紹介しますw 

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